2013年6月3日月曜日

14.無知無感

○老子の原文を道具として解釈したもの

 見えない光。
 聞こえない音。
 感触のない物。
 この三つは感じることができないので、同
じようなものだ。
 大きすぎても小さすぎても感じることがで
きない。
 区別ができないので名前のつけようがなく、
「無い」と思われている。
 感じることができなくても存在するものが
ある。
 幻のようなものだ。
 表も裏も区別ができない。
 それを発見し存在が分かるようになった。
 よく調べること。
 そうすれば進歩する。


○老子の読み下し文

 これを視れども見えず、これを名づけて夷
(い)と言う。
 これを聴けども聞こえず、これを名づけて
希と言う。
 これを搏(う)てども得ず、これを名づけて
微と言う。
 三者は致詰(ちきつ)すべからず、故に混じ
て一となす。
 その上は皦(あきら)かならず、その下は昧
(くら)からず。
 縄縄(じょうじょう)として名づくべからず、
無物に復帰す。これを無状の状、無物の象と
言う。
 これを惚恍(こうこつ)と言う。
 これを迎えてその首を見ず、これを随いて
その後を見ず。
 古(いにしえ)の道を執(と)りて、以て今の
有を御す。
 よく古始を知る。
 これを道紀と言う。


○老子の原文

 視之不見、名曰夷。
 聴之不聞、名曰希。
 搏之不得、名曰微。
 此三者不可致詰、故混而為一。
 其上不皦、其下不昧。
 縄縄不可名、復帰於無物。
 是謂無状之状、無物之象。
 是謂惚恍。
 迎之不見其首、随之不見其後。
 執古之道、以御今之有。
 能知古始。
 是謂道紀。

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